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 中将棋の進化について(9)          三島のトド

 この内容は、ギャンブリング&ゲーミング学会誌第2号(2005.9)に発表したものに基づいているが、一部修正を加えた。

9、獅子・酔象・猛豹の起源について
 中将棋で最も特徴的な駒は獅子である。獅子は、基本的に王将2回分の動きを1手で行ない、1目飛び越えることも出来る。中将棋の現行ルールとして、獅子に関する各種の規定があるが、ここではルールについては触れず、駒の起源について考察する。他に同様の動きが出来る駒として、飛鷲(竜王の成駒)、角鷹(竜馬の成駒)があるが、方向の限定もあり、この動きは獅子のあとに導入されたと考えるべきであろう。
 獅子に類似した動きをする駒は、他地域の将棋類似ゲームには存在しないようである。1目飛び越えることができるということから考えられるのは、桂馬である。特に、チェス・マークルック等の桂馬相当の駒(チェスのナイト)は八方桂の動きであり、大きな破壊力を有している。獅子は八方桂から進化したと考えるのが、妥当ではないだろうか。既に欧米では、獅子の起源は八方桂ではないかという指摘がなされているそうである(残念ながら、文献は見つけられなかった。)。
 しかし、日本の将棋としては八方桂を持つものはなく、二中歴を根拠として、初期の原型の将棋として現行将棋の桂馬の動きを想定している研究が多い。しかし、中国あるいは東南アジアから、八方桂を持つ将棋が渡来していた可能性は高い。
八方桂は日本将棋には取り入れられなかったが、江戸時代には変則将棋として指された棋譜が残っている。湯川によれば、各種ローカルルールがあるが、八方桂対平手4枚落程度が妥当であり、発案者は市川太郎松(幕末の名棋士)と伝えられている(湯川博士 おもしろゲーム将棋 毎日コミュニケーションズ)。持駒使用である点が異なっているが、少なくとも八方桂が日本に存在したことはわかる。なお、同書には変則将棋として獅子王将棋(王将が獅子の動きをする。王将と歩兵のみで平手と対戦。)も記載されている。
獅子を八方桂由来と考えると、中将棋に桂馬に相当する駒がないことも説明がつきそうである。世界の将棋類似ゲームの中で、桂馬相当の駒がないものとしては、中将棋だけである。平安大将棋と現行大将棋の飛龍の動きについて上述したように、同種の動きで新たに導入された駒があった場合には、元の駒の動きが弱められた可能性がある。八方桂から獅子への進化によって、動きが極めて強化されたため、1枚にしたと考えられる。また、八方桂を残しておくと機能が一部重複するので除いたのではないか と考えている。
獅子の成立後、2箇所の桂馬を除いたところに猛豹を埋めたと考えられる。新たに作成・配置するのであれば、金将からの流れで鉄将とするのが妥当であろうが、猛豹が埋められたということは、その時点で鉄将がなく、既に猛豹が存在していたのであろう。猛豹に関する文献としては、伊藤看寿「将棋図巧」の序文(1755年、林 信充)に古式小象棋として、酔象1枚・猛豹2枚を加えたものが紹介されている。金将の上に位置しているところから、中将棋の盲虎(平安大将棋の猛虎は銀将の上に位置している。)との関連も考えられる。おそらく、獅子の作成以前には、猛豹は2段目に配置されていたのではないか。桂馬が削除された後に2段目から猛豹を移したと考えられる。なお、現行大将棋から中将棋が成立したと考えた場合には、なぜ(金・銀・銅に続く)鉄将を入れずに、わざわざ猛豹を2段目から入れたのかという疑問が残る。
酔象については、成ると太子となって2枚目の王将の役割を果たすという特性により、持駒不使用の将棋において、引き分け防止の手段の一つとして用いられた可能性が高い。酔象のある将棋(例、38枚制小将棋)でも、持駒使用で出来ないわけではないが、ゲームの本質に影響を与えることになる。後奈良天皇が酔象を除かせた という伝承(あまり事実だとは考えられていないようである。)も、持駒使用と酔象の太子成が両立しなかったことを伝えているのではないだろうか。
では、酔象はどの時点で付け加えられたのであろうか。個人的想像に過ぎないが、偶数路盤将棋が大型化する場合に、既に9X9で配置されていた金将の2枚化を取り入れた可能性は高い。そうすると、今まで王将と金将でセットになっていたものが、一つ空いてしまうことになり、そこに酔象がはめ込まれたのではないか と考えている。王将・酔象・金将の順番で、周囲8・7・6箇所に行けるようになっており、上述した金将から石将への序列にきれいにつながることを根拠としている。しかし、最初の時点で成ると太子になる という特性が付与されていたかどうかは不明である。但し、王将とのセットであるという観点から、成ると太子になる という発想が出てきた可能性は考えられる。少なくとも、太子に成らないとすると他の小駒と大きく変わることはないので、太子に成るという特性が付与されてから、引き分け防止手段として、38枚制小将棋に取り入れられたと考えることが妥当であろう。(続く)
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獅子について

獅子は八方桂が元になっているのではないかとのご意見ですが、八方桂の伝来を前提にしなくても説明できると思います。
それは、普通唱導集の大将棋にある飛龍・猛牛です。この2つの駒の動きは「二目踊る」となっており、獅子と同じだとされています。
二目目には飛び越して行ける駒です。ただ、同じ方向の一目目にも進めるためにわかりにくかったと思います。一目移動と飛び越し移動の方向を変えてわかりやすくしたのが麒麟・鳳凰です。さらに桂馬とも合体したのが獅子です。
当初の獅子は周囲24目に直接移動できる駒だったと思います。その説明の中で周囲8目への移動を2回できるという説明が加わったのだと思います。
2枚取り・居喰い・じっとなどの特殊な動きが生まれました。

猛豹について

中将棋で、猛豹がなぜ金将銀将の横に配列されたか疑問だという解説だと思います。

私は、猛豹が金将銀将の横に配置されたのは、当然だと思います。
普通唱導集の大将棋での成りは金成りのみで、飛車も金成り(不成も可)で裏が金であったと思います。そこから金将の飛車成りが思いつかれ、中将棋が創案されることになります。
一目移動の駒の成り先として走り駒を考えるとき、普通唱導集の大将棋には、飛車・竪行・横行・角行の4種しかなかったと思います。奔車・香車に成っても横に動けないので意味がありません。
さて、4種を選ぶとき、縦横の同系列の動きを金将・銀将・銅将にあてはめ、成り先を飛車・竪行・横行とします。角行は斜め方向に4方に走ります。走る方向の数では飛車と同格です。そこで、将系ではなく猛獣系の駒で、金将と同じ行き先6箇所の猛豹が選ばれたのだと思います。
玉将から順に金将・銀将・銅将・猛豹となるのは、成り先を考えれば当然と思われます。

酔象について

偶数路盤将棋が大型化する場合にできたというお考えに賛成です。

私は、二中歴の将棋は8×9の横偶数盤であったと考えているので、それが金将2枚の9×9の正方形盤に変化する際、金将の持っていた副王の役割を果たす物として酔象の駒が案出されたと思います(興福寺出土品あり)。当時は金成りしかないので、不成だったと思います。
これが普通唱導集の大将棋に取り入れられ、さらに中将棋に取り入れられるさい、太子成りが生まれたと思われます。
中将棋の流行により、小将棋にあった酔象も太子成りにかわり、持ち駒使用ルールとぶつかり、廃止されたのだと思います。

No title

「酔象」出土しました!11世紀、興福寺。
私の予想通りに裏は無地(不成)。
私の仮説は以下の通りです。
「酔象」は、2枚になった「金将」(副王)の代わりに、小将棋の駒として最初作られ、後に大将棋系列に取り入れられた。中将棋が作られるときに「太子」成りが追加された。それが小将棋に取り入れられ、持ち駒ルールとの矛盾から小将棋からはずされ、現行将棋が生まれた。
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