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囲碁と中将棋    小俣光夫

囲碁の殿堂である東京市谷の日本棋院でマインドスポーツのイベントがあり、運営スタッフを
つとめました。2013年2月17日(日)。2階の囲碁大会会場の一角に主として2人対戦
ゲームを展示しゲームを体験してもらうことを目的としました。
囲碁対局の合間に子どもたちが集まり、ルールをすぐ覚えて遊んでいました。
ただし、チェスや連珠と同じように中将棋を並べておいたのですが、駒数の多さにに驚く人たちがほとんどで
ルールを知っている方はいらっしゃらず、実際の対局はスタッフ同士で行いました。
omata2


 日本棋院の地下1階には囲碁殿堂資料館があり、囲碁に関する歴史的資料が展示されています。

omata1

囲碁以外のゲームととしては、詰連珠問題としての碁石が貼り付けられている連珠盤(15道)があります。
せっかくの機会であり地下にいってみました。意外なことに初代本因坊算砂に関する資料のなかで中将棋の初期配置図があり
興味をおぼえました。9路の将棋の図面と並んでいます。算砂は将棋の名手であったことは事実で将棋に関する
資料(下記など)には掲載されていますが、中将棋にも関係があったとは知りませんでした。当時はまだ中将棋が行われていたので、
算砂も中将棋を知っていたのでしょうし、対局も経験しているかもしれません。裏づけある資料が出てくることを
期待します。
この資料館は大阪商業大学アミューズメント研究所の所管ですので、機会があれば調査を御願いしたいものです


最近上梓された「将棋の歴史」(増川宏一著 平凡社新書 2013年2月15日発行)の第2章 職業として認められた
江戸時代から引用します。
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家康が伏見城で催した碁会に、宗桂、弥三、勧乗坊らの将棋指しも招かれている(『言経卿記』慶長元年(1596)
12月20日)。このころは初代本因坊のように碁打ちであっても将棋に強い者や、将棋指しであっても碁を打つ者
が多かったのであろう。・・・
三代目宗桂が18世紀に書き残した「古名人勝負手合帖」という冊子がある。最初は慶長10年(i605)12月24日、
江戸城本丸での初代宗桂と本因坊算砂との七番勝負の第1局である。
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七番勝負のうち算砂が勝った局もあるので、相当な棋力であったようですし、当然中将棋も知っているはずです。
同書によると、将棋が盛んになっても中将棋は指し続がれ、17世紀から19世紀にまで、少なくとも中将棋の棋書は6点出版されているとのことです。

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